07話
気になる人
2023-10-20 22:44:20
月見が丘駅構内の端にある少しこじゃれた喫茶店。落ち着いた感じで、メニューではオムライスが特に人気があった。ランチタイムの他、平日の午後はこの喫茶店で過ごそうという人が多い。そのため、個人経営にもかかわらず、この店だけが繁盛していた。
しかし、休日は何故だか閑散としてしまう…。今いる客も常連の一人が紅茶を啜っているだけだ。外が梅雨で雨続きなのが原因なのか、休日でみんな別の所へ遊びに行っているからなのか…それは分からない。
そして、そこがスーのバイト先であった。そこのキッチンスタッフとして働いている。忙しくてホールスタッフが追いつかないときはホールで働くときもあるのだが。
「君もすっかり制服が型についてきたね」
お昼の賄いを作っているスーの後ろ姿を見て、喫茶店の店主であるカレルは頷いた。
スーがハイツ月見が丘に住み始めて早二ヶ月。そして、この喫茶店でバイトを初めて二ヶ月。彼はずっと彼女を見つづけていたからそう思うのだろう。キッチンスタッフの証である白衣に赤いチェックのエプロン、そして同じ柄のスカーフは彼女によく似合っていた。
「でも、女の子なのにキッチンスタッフって珍しいね。自慢の髪もまとめて、帽子に入れてしまわないといけないし、そういうの、嫌がる子が多いんだよ」
腰辺りまで伸びている髪は上手にまとめられて、帽子の中に入れている。その分だけ髪に型がついてしまったりと嫌なことは多い。ホールスタッフならばさっと一つにまとめたりすればそれでいい。しかし、スーは珍しくキッチンスタッフになることを望んだのだ。
「私、人と話をするよりも料理を作る方が好きだから」
「ああ、確かに君はこっちでオムライスを作っている方が似合っているね」
スーの返答に人には適材適所があると言うことを思い出したカレルは笑う。
そうしている間にスーは賄い用のオムライスを皿に盛り、カレルに差し出した。丁度カレルも休憩だったのだ。そのままスーは自分の分の調理も始めた。調理系の専門学校へ行っているだけあって、手際が良い。高校まで実家暮らしだったと聞くが、実家でも彼女が主に料理をしていたのだろう。
「実家でも料理してたの?」
「ええ、祖母が死んでからは祖父と二人で暮らしていたから、料理は主に私が作っていたの」
「ご両親は、どうしたんだい?」
「分からない。気がついたときには祖父母しかいなかったから」
彼女に両親のことを訊いて、カレルは少し後悔したが、スーは別段気にしていない様子だ。今日の晩ごはんは何にしよう…と言った顔をしている。両親が行方不明になったという言い方もまるで他人事のようだ。
「そうか、少し悪いことを訊いちゃったかな」
「いいえ、別に気にしなくても大丈夫」
フライパンの上でくるりととろとろのタマゴをひっくり返しながら、スーはゆっくり首を横に振った。そしてそれを皿に盛っていたケチャップのにおいがするチキンライスにかけた。そこで火を止め、調理道具を片付ける。
「食べようか」
「ええ」
そうそう客も来ないのでカウンター席に移る。ただ一人、隅で紅茶を飲んでいる男がいるだけだ。どこか憂鬱げな横顔、茶色く、長めの前髪の隙間から髪と同色の瞳が見えた。
その男にスーはなんとなく見覚えがあった。毎朝、洗濯物を干しているときに隣のベランダに出てきて、一人遠くを眺めている男だ。引っ越し当日、洗濯用洗剤を持って彼の家を訪れたのだが、如何にもすぐに帰れと行った視線でこちらを睨んできたから、第一印象は悪い。確か…ルトガーといったか。
「あの人、お隣さんだわ」
「ルトガーがかい? 珍しいこともあったものだね。彼はこの店の常連だよ」
くすくす笑いながらカレルがルトガーに視線を向けると不機嫌そうな視線をこちらに向けてくる。
「彼は愛想が悪いだろう」
「家にも似たようなのが一人いるから、慣れてる」
今頃、家で掃除をしているだろう同棲相手のことを思い出して、笑う。
土日でシンが休みの日は彼が家事をする取り決めをしている。大学時代はしばらく一人暮らしをしていたから、おかしなことをする心配はない。
「彼は一体普段何をやってるの?」
「さあ? 私にも教えてくれないんだ」
背後にいる職業不明の男に構わず二人は彼についての話を続ける。背後で眉間の皺をさらに深くさせていると言うことはあえて考えない。
「…さっさと昼食を食べて、仕事に戻ったらどうだ」
唐突に耳に入る声。挨拶に向かったときそのままの声だ。振り返るとルトガーがしかめっ面で立っていた。確かに自分のあずかり知らないところで話をされるのは気分が悪いというものだ。スーは少しだけ申し訳ない気がしたが、カレルにそんな様子はない。
「でも、その仕事がないんだよ」
「じゃあ、これを淹れてきてくれ」
ルトガーが差しだしてきたのは紅茶のカップ。中身は空だ。これが仕事…なのだろう。
「分かったよ。座って待ってていてくれ」
空になったオムライスの皿とスプーンを持って、カレルは立ち上がるとキッチンへと消えた。ルトガーとスーだけがそこに残される。互いに目が合っても特に交わす会話はない。
どこか憂鬱げな横顔は二ヶ月前に初めて会ったときと変わらない。どうやら連日続く雨のせいではないようだ。
「あなたもサカの生まれよね」
「…よく分かったな」
ふと思い立って声をかけてみた。
一際勘の鋭いスーは同じ出身地の人間は直感で分かる。昔から故郷の野山で駆け回り、小川で遊び、身体全体でサカの自然を感じてきた。他に娯楽のないようなところだから、大概の若者は同じような子供時代を過ごしている。だから、解る。みんな同じような雰囲気を纏っているのだ。
「ずっと気になっていたんだけど、あなたはどうしてここにいるの? ずっと部屋にいるみたいだし」
「…おまえには関係ない」
「おーい、淹れてきたよ」
すっぱり言い捨てられたところでカレルが新しいティーセットと共に帰ってきた。何故だかカップが三つある。これはどういうことか、という視線を向ければ、穏やかに微笑みながら、彼は答えた。
「今日はずっと暇だろうし、みんなでお茶にしようよ。スー、冷蔵庫にチェリーパイがあったはずだから取ってきてくれないか」
店主自らがまさかのサボり宣言である。何故そういう考えに至ったのかは解らない。確かに外の廊下は人っ子一人歩いてはいない。客は当分ルトガー一人だろう。
カレルの言いつけ通り、食べ終えた皿を片付けるついでにスーはキッチンへ向かった。
キッチンに向かいながら、ルトガーのことを考える。何故ハイツ月見が丘に住んでいるのか、何故仕事もせずに毎日家にいるのか…無性にそんなことが気になった。他の人ならばさらりと流すところを。
(どうして私はルトガーのことがこんなに気になるのかしら)
単純に放っておけない人だと思ったからだろう。
端正なのにその憂鬱そうな顔から、危なっかしい何かを感じ取った。同じものをカレルも感じたから、彼を気にかけているのだろう。
そういえば、管理人のディークも彼のことを気にかけている。たまに隣からタッパに入れた惣菜を分け与えるディークの声が聞こえてきていた。
一体何が彼の表情をこんなに憂鬱にさせるのだろうか。
そういったことが気になって、仕方がないのだった。
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