03話

新生活とご近所さん

2023-10-20 22:30:14
 ハイツ月見が丘。

 築ウン年でオートロック完備。何よりそのロケーションは近くに山があり、自然公園もある。商業設備や月見が丘ニュータウンの近くにあり、買い物も近場で済ませることができる。それなりに良い立地条件だとは思うが、住人は少なかった。

「やっぱりここにして良かったわね。自然もいっぱいだし、近くにスーパーもあるし」

 スーパーの袋を自転車の荷台に乗せて、スーはどこか楽しそうに言った。しかし、彼女の前方で自転車をこぐシンはどうにも不満げだ。
「私はもっと…」
「街に近くて、便利なところが良かった…でしょう?」
 自分の言おうとした言葉を先に言われて、シンはぎろりと振り返ってきた。ふふん、と笑うとスーは思い切りペダルをこいでシンを追い抜いた。
「家まで競争しましょう」
 自慢げに笑って、さらにスーはペダルをこいだ。シンの遙か前を彼女は走っているが、シンも置いてけぼりを食らっているだけではない。彼も思いきり力を入れてペダルをこぎ出した。
 男の力は女のそれを上回る。あっという間にスーを追い抜かしたが、スーも負けてはいられない。さらに速く彼を追った。


 はあはあ荒い息を漏らしながらハイツのオートロック施錠の前にいた。しかし、これまでオートロックなんて無縁の場所に住んでいたスーはどう触れば開くのかこの間聞いたのに忘れてしまっていた。
「どうやって開けるんだった?」
 鍵を片手に遅れてやってきたシンに訊ねる。
「貸してください」
 シンは両手に持っていたスーパーの袋の一つをスーに渡すと代わりに鍵を受け取る。鍵穴に挿して、回すとハイツ玄関の扉の鍵が開いた。ごく簡単なことだった。
「すごい、開いた」
「覚えましたか?」
 あきれたような眼差しを向けて、シンが訊ねるとスーは無言で何度も頷いた。
「オートロックって、本当にすごいわよね。絶対に人は通さないのに鍵を挿したら開くんだもの」
「私としてはスー様の反応の方がすごいです。ちゃんと四月から一人でハイツに入れるかどうか…」
「大丈夫よ。もう覚えたもの」
 自分の分の合い鍵をちゃらりと鳴らして、スーはふふんと笑った。なんだかまだだめそうだと額を押えたくなったが、そんなことしようものなら夕飯に何を入れられたものか分かったものではない。

「こんにちはー!」

 背後からすごい声がして二人そろって振り返ると青くて短い髪の少女が微笑んでいた。年の頃はスーと同じくらい。多分、ハイツの住人だろう。とりあえず、「こんにちは」と会釈で返す。
「この間、引っ越してきた人たちですよね? 確か、シンさんとスーさんっていう」
「ええ、そうだけど…」
「あたし、シャニー。一○二号室に住んでるんだ。一人暮らしだから寂しいんだよね。だから、たまに遊びに来てね!」
 少女…シャニーはにこにこ笑いながらスーの手をぶんぶん振った。ずいぶん元気の良すぎる少女だ。
「ええ、よろしく。シャニー」
「スーとは年近そうだよね。どこの学校行くの?」
「調理師の専門学校」
「そうなんだ! あたしはね、パイロットになりたいんだ! だからそういう系の学校に通うんだ!」
 びしっと敬礼をしてみせてシャニーは微笑む。元気な彼女ならばきれいな空色が似合うだろうとスーはなんとなく思った。しかし、航空系の学校は確かにあるが、少し離れたところだったような気がする。
「でも、少し遠いんじゃない?」
「大丈夫、大丈夫! 別に近いからここにしてるわけじゃないんだ。ね、ディークさん!」
「なんだ、シャニー」
 くるっと突然後ろを向いた彼女の視線の先に管理人が立っていた。
 契約の時と入居時に会った。ディークという。水色の髪で顔などが傷だらけでいかにも何かいわくありげだが、それを追求しようとはスーもシンも思わなかった。ただ、住人たちから、すごく慕われている。こうしてシャニーも彼のことを慕っていた。
「ディークさん聞いてなかったの?」
「俺、今帰ってきたばっかだぞ? 聞いてるわけないだろ」
「もう、ちゃんと聞いといてよね!」
 ぶう、と頬を膨らませるシャニーを睨みつけながら、ディークは溜息を吐く。二人のどこかほのぼのとしたやりとりに心が和む。スーとシンではなかなかできない掛け合いだ。
「おう、お二人さん。どうだ? 何か困ったことはないか?」
 シャニーの近くにいる二人のことにも気がついて、ディークは気さくな笑顔で訊ねてくる。
「スー様がハイツの前で立ち往生をしていた…」
「困ったことはないです。大丈夫」
「そりゃ良かった。オートロックで手間取る奴は多いからな。シャニーもそうだった」
「もう、ディークさん、それは黙っててよ!」
 あきれたように溜息を吐くディークの隣でシャニーはぷんぷん怒って飛び回っている。スーは自分だけではなかったことを知って、にやりと笑いながらシンを見やった。彼の表情は変わらない。
「サカ地方から来たらしいから心配してたんだが杞憂でよかった。そうだ、さっき知り合いに会ってやたら高級な菓子をもらっちまったんだ。甘いものよりつまみが好きでな、ちょっともらっていってくれねえか?」
「いいの?」
「そんなの、あたしが全部もらってあげるのに!」
「お前も持ってってくれ。あっても困るだけだしな」
「やった! ラッキー!」
 ディークが菓子箱を開けるとそれぞれ二つずつそれを取った。よく見てみると、近くで評判の洋菓子店のフィナンシェのようだった。
「じゃ、俺他の連中にも配ってくるから」
「あ、あたしも行く! ロットに本返さないとだめなんだ。じゃあね!」
 ばたばた慌ただしくディークとシャニーが去っていくのを見送ってからシンとスーも自分の部屋に向かう。

 二階の二○三号室。それが二人の新居だ。

 荷解きも大方終わり、部屋は片づいていた。とはいえ、元からものが少なかったのだが。今日買ってきたのは鍋やフライパン、食器の類だった。食器は人が来たときのためにそれぞれとりあえず四つずつ。マグカップはそれぞれお気に入りの意匠のものを一つずつ購入した。
「さっきお菓子もらったし、お茶にする?」
「すぐに食べてしまわないとおいしくなさそうですしね」
 ちゃぶ台の上にそれを置いておくと、買ってきたヤカンを箱から取り出し、一回すすいでからお湯を沸かした。お湯が沸くと笛が鳴るタイプのものだ。割とすぐにお湯は沸いた。
 今日買ってきたマグカップを一回すすいでから、ティーバッグの紅茶を淹れた。すぐに良いにおいが鼻を癒す。
「管理人さんも前会ったときは怖い人だと思ったけど、いい人そうで良かった」
 雌鹿のデザインがかわいらしい、赤いマグカップから茶を啜りながら、スーは楽しそうに笑う。
「他の人なんてどうでもいいと思ってたけど、おもしろそうな人ばかり住んでそうね、ここ」
「はい」
 スーの話に相槌を打ちながら、シンは隼のデザインが入った緑のマグカップで茶を啜る。先ほど自転車を本気でこいだのがいけなかったのか、足が地味に筋肉痛だ。
「ねえ、ここで暮らすのも悪くなかったでしょう?」
「はい、もう後悔はしておりません」
 シンは元々、もっと街に近い別の部屋で暮らしたかったが、スーたっての希望でここに決めた。別にスーが強引に取り決めたわけではないのだが、シンは自然とそれに従うしかなかった。
 元々自然の中で暮らしてきた彼女を黒煙立ちこめる都会に住まわせるのは嫌だと感じた。彼女のそばには必ず木々が、花々が、澄んだ小川が必要だ、そう思った。それだけのことだった。ハイツ月見が丘はスーにぴったりな物件だったのだ。

「良かった。私の希望を押し通してしまったから、少し後悔していたの」
「いいえ、私もここがよいと感じておりました」

(あなたはここでないといけなかった)

 一緒に暮らす家を決めるならやっぱり二人で決めたい。
 ハイツ月見が丘に住むことが決まったのはやっぱり二人で決めたことだった。


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