02話

新しい朝
シン/スー/ツァイス

2023-10-20 22:28:35
 じりりりり、と騒がしい目覚まし時計を止めて、そのまま文字盤を見ると六時を指している。一つ欠伸をしてから、ベッドを降りると見慣れない部屋に一瞬困惑する。家具の配置が少しだけ以前の部屋と違う。ベランダに面した窓なんてスーの部屋になかったはずだ。

(あ、そうだ)

 そこでやっと気がついた。彼女は昨日から新居に移り住んだのだ。

 寝間着の上にベッドにかけてあったカーディガンを羽織るといそいそとベランダに出る。まだ低い位置にある太陽がスーに挨拶をしてくれているようだ。逆光で黒い山を見つめながら、今日一日が始まるのを感じる。思い切り深呼吸をすると体内の酸素がすべて入れ替わったような気がして、気持ちが良い。
 気持ちが切り替わったところでスーは洗面所に向かうために部屋を出た。ダイニングにはまだまだ段ボールが積み重なっている他、男たちが雑魚寝をしていた。シンとその友人ツァイス。スーが寝てからもずっと飲み続けていたらしい。酔って潰れてそのままといったところか。
 そんな男たちの様子に溜息を吐きながらも、今日は休日だから昼まで寝かせてあげようと思った。それにツァイスは入居祝いにたくさんおいしいものを持ってきてくれたのだから、起こしてすぐに返してしまっては可哀想だ。
 洗面所で顔を洗ってから、部屋に戻って支度を調える。寝癖だらけの髪も梳かしたし、今日の服装も春らしい淡い色の少し長いワンピースに七分丈ジーンズと残りの作業に適した動きやすい格好だ。作業と言うよりも普段からスーは動きやすい格好を好んでいるのだが。
 居間を適当に片付けてから、適当に朝食を作るとシンとツァイスの間を陣取って、テレビをつける。どうでもいい朝の情報番組では芸人顔負けのリポーターが身体を張った取材をしている。何でも、肌がきれいになる顔マッサージ方法だという。使用するのはスプーンだけ。なんとなく、床に転がっていたスプーンを拾うとインストラクターらしい女性の見よう見まねでやってみる。単にスプーンが冷たいだけだった。
 ばかばかしくなってスプーンを置き、それからチャンネルを変えた。夏休みなどでよくやっているアニメの再放送だ。今日は特徴的なしゃべり方をするハムスターが主人公の子供向けのアニメがやっている。これでいいや、とリモコンを置くときつね色に焼けたトーストにマーガリンを塗るとそれを囓る。さく、と食欲をそそるいい音がした。

「ん…」

 食べ物のにおいに反応したのか、右脇に眠る赤い髪が揺れた。先に起きたのは存外ツァイスだった。見ているうちに男は目を擦りながら、身体を起こした。
「おはよう」
「ああ…おはよう…って、ここどこだ?」
「私とシンの家」
「ああ、そっか…って、え?」
 スーの言動に疑問を抱いたのか、ツァイスは目を閉じたまま首を傾げた。そして、自己解決したのか「ああそうか…」と納得したように呟いた。
「そういえば、ここの入居祝いだったな」
「ツァイスは昨日張り切って手伝ってくれてたわ。それで夜はすごく飲んでいたわ…」
「ああそっか…君は確か先に寝たんだったな…」
 スーの機能の説明にこくこく頷きながら、ツァイスはまた一つ欠伸をした。
「シャワー借りていい?」
「どうぞ」
 ツァイスの頼みにスーは頷くとさっ、と浴室を指さした。
「でも、着替えがないわ。シンのは多分、ツァイスには小さいと思うし…」
「いいよ、これ着るから。さんきゅ」
 片手を上げて、ツァイスは洗面所に入った。中からじゃんじゃんと水を使う音がする。話し相手もおらず、暇なのだ。テレビの中のハムスターのこともどうでもよくなって、テレビを消す。続きのトーストを囓りながら、隣でまだ眠っている男を見る。
 見られていることにも気づかずに眠っている男はいびき一つかいていない。単に静かな寝息が聞こえてくるだけだ。寝ているときでさえ、今にも小言を言いそうなその口元がどうにも苛立って、いたずらに鼻を摘んだ。らくがきまでしたら可哀想だ。
「何してるんだ?」
 上がってきたのか、タオルを肩にかけたツァイスが訊ねてくる。唇に人差し指を当てて、にやにやする彼女の手の先を見て、ツァイスもにやりと笑う。それと同時にシンが苦しがったのでつまむのをやめた。そのままシンは目が覚めてしまった。
「おはよう」
「おはようございます」
 目の前にスーの顔があっても、シンは動じず彼女と目を合わせる。それが無性におかしくて、スーは声をあげて笑いだした。
「朝から一体なんですか」
「あまりにも面白かったから」
 腹を抱えて笑う彼女を怪訝そうに睨み付けて、シンは起き上がって頭を掻く。バツが悪くなって、そのまま自室に引っ込んでしまった。多分、このまま風呂に入って着替えるんだろう。
「ツァイスは朝ごはん食べていく? 少し中途半端な時間だけど」
「ああ、食べる!」
 食べ終えた皿を重ねて、散々笑っていたスーが立ち上がった。
「荷解きも手伝うよ。明日も休暇取ってるし」
「本当? ありがとう、ツァイス」
 新居の居間にはまだ段ボールが積まれている。
 二人暮らしはまだまだ始まったばかりであった。


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